今日は、いつも行っている美容院の店長との話しを書きたいと思います。
店長は元々大の車好きなのですが、最近はその車好きが高じて車いじりに発展、今では奥さんに白い目(?)で見られながらも自分好みの車に改造するためにわざわざ壊れた車を購入し、自分で修理し、自分で車検を通そうというレベルにまで至り、その悪戦苦闘ぶりを面白おかしく話してくれました。
しかも、それは幼少時代から始まっており、ご両親も車関係の仕事に就くだろうなと思うくらいの筋金入りの車好きだったとのこと。
そこまで聞いていて、私はふと不思議に思いました。
そんなに車が好きなのになぜ今美容師をしているんだろうかと。その疑問を払拭すべく理由を聞いてみたところ非常に考えさせられました。
店長さんはそれだけ車が好きだったわけですから、当の本人も高校生になるまでずっと車の整備士になると決めていたようです。
その地域では免許が取れる年齢になると皆免許を取り、ほぼ同時に車を買うとのこと、車好きの店長は高校生活のある日、憧れの車の整備士と話したいという思いから車を買うという友人について車屋さんに行きました、これが店長の人生に大きな影響を与えるイベントとなるとは露程も知らずに。。。
そう、この日を境に店長は車の整備士を目指すことをやめたのです。
なぜか。
この日に店長が話しをした整備士が皆「格好悪かった」からです。
なんだそんなことかと思う方もおられると思いますが、私はそうは捉えませんでした。
格好悪いと言っても見た目の問題ではなく(見た目もあったのかもしれないですが、、、)、自分の仕事を愛していないというか、楽しんでいないというか。
簡単にいえば、寝ても覚めてもその仕事をしていたいというくらい仕事を愛しておらず、逆に嫌々やっているという印象を与えたのです。
大人は仕事の愚痴や会社に対する不満を簡単に口にしますよね。
しかし、その些細なことが子供の人生の選択に影響を与えているとしたらどうでしょうか。
これから自分が生きていくための仕事を選択しなければならない子供にとっては大人の仕事に対する姿勢から大人が思うより大きな影響を受けるのです。
この店長は子供の頃から車の記事を読みあさり、寝ても覚めても車のことを考えていました。
そんな素直でまっすぐな思いと情熱をそのまま自分の仕事に繋げられていたらどうだったでしょうか。
好きこそものの上手慣れと言われますが、その言葉通りご自身がお持ちの力を存分に発揮し、取り組くんでいる姿を想像することはそれほど難しくないと思います。
もちろん、人生に「たられば」はないので、実際にどうなったかは分かりませんが、可能性でいえば本当に好きなことを仕事にしている方が幸せになる可能性は高い気がします。
つまり、見方によっては、店長と話しをした整備士の方は人生に幸福感をもたらす可能性が高い「好きなことを仕事にする機会」を奪ったことになります。
では、子供たちが能力を遺憾なく発揮し、高い幸福感をもてる仕事を選択するために今を生きる大人にできることはなんでしょうか。
子供の前だけきれいなことを言っていれば良いのか。子供はそんなに馬鹿ではありません。それこそ子供騙しでしょう。
では、どうすればいいのか。
かっこいい大人でいるために最大限努力をすべきなのではないでしょうか。
それは、大人が真に自分の仕事に誇りを持ち、愛し、情熱を注ぐように努力することではないでしょうか。
今、そういう仕事についていない人に取っては環境を変えることも必要なのかもしれない。
とにかく、自分が情熱を注げるものを見つけ、そこに深く没入することではないでしょうか。
それが何歳であっても。
もちろんそれは背負う物が多くなればなるほど難しく、勇気がいることだと思います。
でも、そんな挑戦している大人が子供に取ってはかっこいいのではないでしょうか。
皆さんは改めて自分を振り返ってみていかが思われますか。
取り組まれている仕事に対する情熱を子供たちがかっこいいなと感じるくらい熱く語れますか。
「かっこいい大人」でいることは思ったより大事であると感じると同時に自分も、もっともっとがんばらなければならないと志を新たにした出来事でした。
2014年11月14日
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