事業を興すということの意味

〜後世により良い社会を残すために〜

2008年4月2日

記事に関連する写真

自分で事業を興してから、まだ1ヶ月しか立っていないが、昨日カンブリア宮殿に和郷園という千葉の農業団体の話が放送されており、それを見ながらふと思ったことがあった。


和郷園の代表は20年前に親から農業を継ぎ、あまりに儲からない産業であることにびっくりし、なんとか儲かる産業にしたいという動機で農業団体としては珍しい加工から販売まで自前で行う垂直統合型のモデルを作り、参加の農家に経済的に潤う土台を作った。その代表理事曰く、やったことはいたってシンプルで最終消費者にニーズに答えていった結果、現在の垂直統合の形となり収入が増えたという。聞いたときは、「そうだな。成功しようと思うとユーザーニーズを素直に聞き、それに答えればいいんだよな。」とシンプルなことを一貫して行っている姿に感心したが、少し冷静に考えると何かひっかかるものがある。

事業を興すときに重要なことってそれだろうかと。事業を興す理由が経済的な理由でいいのだろうか。ユーザーニーズを聞くだけでいいのだろうか。商売だからユーザーニーズを聞くのは当たり前だが、それだけで終わっては自分だけが利益を得て終わりじゃないか。皆がそんなことをしていたら結局ユーザーのご用聞きのような会社、自分のことだけを考える会社が増えていく。それって、本当にいいことなのだろうかとふと考えてしまった。


事業を興すとはもっと高尚なことであるべきだはないか。人をより幸せにすること、社会をもっと住みやすくすること、そういう大義があった上で、次に儲けではないか。儲けだけを考えればMBOで習った通りにユーザーニーズを把握し、効率的な経営を行えば、大きな失敗はしないし、小成功なら簡単に得られる気がする。でも、今の社会に求められているのはそういう小成功をする人財ではなく社会のために犠牲をいとわない真のリーダーではないのか。手段である経営学修士ではなく、リーダーとしての本質である帝王学ではないか。


そんなことを思う今日この頃である。